えりりん

初めまして。えりりんと申します。どうぞ、宜しくお願い致します💓

私とパソコン


皆様、おはようございます。

私の家にパソコンがやって来たのは、「当時の私の父親が、仕事場である東京航空交通管制官のゴミ捨て場から、まだ使えるパソコンを、私の父が持って帰って来た事が原因」でした。

そして、当時の父親が、自分の家に持って帰って来たパソコンで、自分の家でも何か作業をしていました。

ですが、ある時、当時の父親から、私が高校生になった年ぐらいの頃に、私に、自分でパソコンを使って何か、文章を書いたり、計算したり出来る様になって欲しいと思ったらしく、当時の父親が、私にパソコンを使える様にと、色々と、教えてくれました。

当時の私は、私が中学生ぐらいの頃はまだ、パソコンを含めた電化製品には、ほとんど触れた事は無く、はっきり言って、当時の私は、機械に関して、かなりの警戒心を持っていました。

そんな当時の私が、未来に、「自分の意思でパソコンを使える様になった挙句、自分専用のノートパソコンで、自分のフェイスブックが使える様になったり、自分で自分の意思で、自分のブログを自分で作ったり、自分のパソコンで自分の意思を伝える為に、文章を書いたりすると言う事が出来る様になる!だなんて、当時の父親からパソコンの使い方を教わり始めたばかりの頃の当時の私は、考えもしなかった」でしょう・・・。

でも、当時の父親は「パソコンを使って、私に、もっと、色々な事が出来る様になって欲しい!と、本気で思っていたらしく、普段はあまりかまってくれないにも関わらず、この時は、とても一生懸命に教えてくれました。」

そして、「自分専用のフロッピーディスクを貰い、それを使って、当時の私は、色々な文章を書いたり、パソコンを使って、ゲームをしたり、パソコンを使って、お料理の勉強をしたり、パソコンを使って、家計簿のつけ方を教わったりしました。」

今から冷静に考えてみれば、「この時初めて、父親から借りているパソコンでは有りましたが、自分の意思で生まれて初めて、パソコンでゲームをする事を覚えて、自分の意思でパソコンでゲームをしていました。」
でも、この頃に父親から教わった事の中で、私はあまり、好きではなかった事が有りました。
それは、家計簿のつけ方です。

私がまだ、「自分の4歳下の妹が生まれるか生まれないかぐらいの頃、当時の私は、家計簿のせいで、とても嫌!な、体験を既にしていた」からです。

ですので、私にとって、「家計簿のつけ方を教わると言う事は、大人への入り口で有る半面、過去の私の、家計簿に関する、とても嫌な記憶を呼び覚まさせられ、とても、複雑な思いだった記憶」が有ります。

そんな私ですから、「パソコンで家計簿のつけ方を覚えると言う事は、当時の私にはあまり、必要なものでも無かった為、長続きはしません」でした。

そして、「パソコンで、お料理のお勉強をする!と言う事自体には、とても興味が有ったので、比較的真面目に覚えようとしましたが、お料理マムの機能がパソコンが進化するに従い、使えなくなってしまった」ため、これまた、あまり、長続きしませんでした。

そして、「パソコンでゲームをする事の方はと言うと、私は当時、まだ、高校生だった為、学生は、お勉強をする事が仕事なので、気晴らしにゲームをする事は許されますが、ゲームばかりしていては怒られてしまいますし、当時の私は、ファミコンと言うゲーム機も存在していた事も有り、パソコンを使ったゲームの方も、あまり、長続きはしません」でした。

「当時の私が一番長続きした、当時の父親から教わった事と言えば、私がパソコンを使って操作する事と、パソコンを使って文章を書く事」でした。

そして、「パソコンを使って、フロッピーディスクの中に保存した、データを基に、専用の印刷機を使って、自分で印刷すると言う作業」でした。

でもその内、時間が経ってパソコンと、パソコンの機能がドンドン進化していくにつれて、パソコン通信と言うものが出て来る様になり、私は父親がパソコンを使っている間は使えないので、その内、私がパソコンを使うときは、私が自分専用のフロッピーディスクを使って、自分で自分の書きたい事を文章にする!と言う作業が中心」になって来ました。
そして、私は、私が自分でパソコンを使って、文章を書くのが、とても大好きでも有りました。

ですが、「ある日突然、私がその作業をする事を止めてしまう出来事が起こりました。」

それは、「私が静岡県下田市に行く事になったから」です。

当時の私は、とても文章を書くのが大好きでしたが、当時の私は、あまりにも、当時の両親が私に対して、あれやこれやと口うるさすぎる為、いい加減、げんなりとしてしまい、当時の私は真剣に、生きるか死ぬかを本気で考える様になり、かなり真剣に悩みました。

「当時の私を知る他の人達からは、いくら親だからと言って、ちょっと、関わりすぎだよと言われるほど」でした。
そして、結果的に私は、静岡県下田市に行く事を決め、下田市で暮らし始めました。

ですが、基本的に警戒心の強い私が、いきなり、静岡県下田市での生活を決めたわけでは有りません。

「最初は、静岡県下田市と、実家を行ったり来たりをしていました。

そして、少しずつ、静岡県下田市の環境にも慣れ、下田市でずっと暮らすのも悪く無いかも・・・。と思う様になり、私は少しずつ、ゆっくりと、ずっと下田市で生きていくかどうかを、自分で自分自身に問い始め、結果的に、5年間をかけて、答えをだしました。」

その結果、「当時の私は、残りの人生を下田市で一生暮らす事を決め、静岡県下田市で暮らし始めました。
ですが、結果的には、私の願いは叶いません」でした。

それは、「私が2017年6月15日に、私が山口県入りをする事になったから」です。

「2017年6月15日に私が山口県入りする直前までの私」は、「大好きだった静岡県下田市を出て、実家でずっと暮らさなければならなくなり、かなり強烈な精神的ショックを受けてしまい、その精神的ショックからなかなか立ち直れず、すっかり、生きる希望を見失ってしまい、当時の私は完全に絶望し、絶食をしてしまいました。」

私が絶食する気になったのは、「私は昔から、私の心にストレスが溜まると、完全に食欲を失ってしまい、食事をする気になれなくなってしまうから」です。

その為、「完全に生きる希望を見失った私が、絶食する気になったのは、むしろ、当然の事」だと、私は思います。

ですが、「私が今、山口県下関市内でお世話になっている男性に、母のフェイスブックのメッセージ機能を通して励ましてもらい、自分の携帯電話のメール機能で、アドバイスをもらったり、私の体調不良に関する悩みを聞いてもらったりしたおかげで私は、2017年6月15日に私が山口県入りをする事になり、現在に至っています。」

そして私は現在、「この山口県で、私自身が決めた一定期間が来るまでの間を生き抜くため、あれやこれやと自分自身で模索しながら生きて」います。

「この一定期間とは、私が山口県入りをするにあたり、私自身が、自分の肉親も私の友人も知人も居ないこの山口県内で、本当に、私一人で生きていけるのかを確かめるための言わば、テスト期間の事」です。

私は、「私が大好きだった静岡県下田市に行った直後の私」も、「このテスト期間を初めて、自分自身の意思で設け、そして、静岡県下田市は、当時の私の試験に合格したため、私はずっと下田市で暮らし続ける覚悟で生きて」きました。

そして「今度は、そのテストを受ける羽目になったのが、私が今居る、山口県下関市」です。

もし、「このテスト期間中に、私自身がこの山口県内で、安心して生きていける!と判断したなら、私はずっと山口県で生きていく気になれます」が、もし、「山口県下関市が、私のテストに不合格だったなら、私は、テスト期間終了後に、この山口県から出て行く事を決意する!」でしょう。

ですから私は、「私が2017年の山口県入りの準備期間中に、自分で決めた一定の期間が訪れるその日まで、私は、この山口県下関市内で生き抜かなければ」なりません。

でも、私は、「私が山口県下関市内で生活している間は、出来るだけ、自分が生活しやすい様に、山口県内での私の部屋を使いやすくして、出来るだけ、安心して生きていける様に、頑張ろう」と思います。





















えりりんのブログ

私の文章は、自分の書きたい事や、私が誰かに伝えたい事、私が気付いた事などを中心に書いています。 だから、思い出話だったり、私が実際に体験した事に関する話だったりと、色々です。 そして私は、時々、気が向いたら、自分の好きな事や、私が今興味を持っている事、自分が勉強している事を書く時も有ります。 とにかく、私は、自分の書きたい事や、私が誰かに伝えたい事を中心に書いて行きます♡

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