私の年末年始
皆様、あけましておめでとうございます💓
私の年末年始は、いつもの様に、家族だけで過ごす事となりました。
でも私は、「自分に好きな人や、ずっと、仲良くしたい友人知人、ずっと、一緒に仕事をしていたい仕事仲間などが、新しい場所で出来て来ると、その人達と一緒に、仲良く新年を迎えたいな~💓」と、思ってしまう時がやって来ます。
私は、実家の在る埼玉県飯能市内で、今年の年末年始を過ごしましたが、私はやっぱり、「私自身の人生の中で、自分の好きな人が私の傍に居てくれないと、私はやっぱり、私の精神状態に、悪影響を及ぼしてしまう事が多い」様です。
私にとって、「私の好きな人の存在は、私の心の支えそのものであり、私の生きるための希望そのものであり、私の活力の源でもあり、私の好きな人自身が望むのなら、私の好きな人の心の支えとなって、その人の傍に居たい!
私の好きな人の心が、何かのせいで疲れているのなら、私に可能な範囲内で、その人の心を癒してあげたい!
私の好きな人が、私と一緒に居る事で、余計なトラブルになったり、余計な負担になるのなら、私の命と引き換えにしてでも、私の好きな人の心が傷つかなくて済む様に、守ってあげたい!」
私は、「私に、好きな人が現れると、私はいつも、そう思ってしまいます。」
でも「実際の私は、いつも、基本的に、誰かに守られてばかり・・・。
私は、いつも、誰かに支えられてばかり・・・。」
私は、その事実に対し、いつも、「誰かが、私の事を守ってくれるのは嬉しい💓でも、私はいつもいつも、誰かに守られてばかり居る・・・と、私の心は認識してしまいます。」
その為、「私の心は、守ってくれて嬉しい💓私の事を、守ってくれて有り難う💓と言う気持ちを持つと同時に、私、又、誰かに守って貰ってばかり・・・。とも、認識してしまいます。」
その為、私は、いつも、こう考えてしまいます。
「私は一体、いつになったら、私が、誰かの事を守ってあげれるのだろう・・・。
私は一体、いつになったら、誰かに守られる側から、私が誰かを守れる側になれるのだろう・・・。
私が、誰かの事を守れずして、何が大人なの!
でも、私は、ただの人間の一人として生まれて来てしまったから、私に出来る事は限られてる!
おまけに私は、子供の頃から、病気と怪我にばかり、いつもウンザリする程、好かれてばかり居た・・・。
そして私は、私が子供の頃から、私が病気と怪我にばかり、襲われては、いつもいつも、泣いてばかり居た・・・。
だから私は、ある時、決めたの。
私がもっと大人になって、私自身に好きな人が現れたら、いつか、私が、私の好きな人の事を守る!って・・・。
私は女として生まれてしまったから、肉体的な面では、男性にかなわないかも知れないけど、私の好きな人が、私の好きな人の心が傷ついてしまう様な事が有ったなら、私が、その人の心を守ってあげたい!私が、その人の心を癒してあげたい!」
私は「ずっと、そう、願い続けながら、48年間、ずっと、生きて来ました。」
でも私は、「未だに、誰かに守られる側にしか、成れていない・・・。
私は一体、いつになったら、私が、誰かを守る側に成れるのだろう・・・。
今の私が、落ち込んだ表情をする事が多かったり、今の私が、悲しそうな表情をしたり、今の私が、何かに悩んだ表情をする事が多い、一番の原因は、私が大人になった今でも、私が、誰かに守られてばかり居るから・・・。
私は、私が大人になったら、私自身が誰かを支える事が出来たり、私が、誰かの心を守ったり、私が誰かの心を癒したりする事が出来る様になって初めて、私は、私が生きてて良かった💓
私、やっと、まともな大人に成れた!って、実感する事が出来る!」の・・・。
それなのに、「私は未だに、親や、大好きな重見さんを始め、私は、私が山口県に行ってからも、私はいつもいつも、誰かに守られてばかり・・・。今の私は、その事実こそが原因で、又、生きる希望を見失ってしまいそう・・・。」
私にとって、「誰かに守られてばかり・・・」と、言う現実は、「確かに、感謝をすべき事実では有っても、誰かを守るとか、何かを守る!と言う事が出来出来ていない現実の為、有り難うと言う気持ちと、感謝します!と言う気持ちが、私の心の中に有っても、有り難うと言う気持ちと、感謝します!と言う気持ちを持つのと同時に、私は、何時まで経っても、守られてばかり・・・と言う事実を認識しなければならない現状に成っている為、私が、まともな大人としての人生を生きる為の、希望を見失う原因にも、成っています。」
中学生時代までの私が、「私の夢の中で、泣いていた神仏に、笑顔に成ってもらえる様にする為に、意識の時代を呼ぶ!と、決めて、神仏の為に、私が自分で呼んだ意識の時代を、私が支える!と言う決意も、結局は、私が、「誰か」や、「何かを守りたい!」と言う、「欲求を満たす為に、決意した事でも有ります。」
でも私、又、分から無くなった・・・。
いくら、「神仏に笑顔に成ってもらう為とは言え、私の魂のパートナーが、私と一緒に、私が呼んだ意識の時代を、私と一緒に支えてくれる気は有るのかしら?
私が呼んだ意識の時代を、私と一緒に最後まで支え続けてくれる気は有るのかしら?
そして、私の魂のパートナーは、私と私の魂のパートナーとの間に生まれた子供達と一緒に、最後まで、私が呼んだ意識の時代を、私と一緒に支え続けてくれる!と言う意志を、ご自分自身の意志で、最後までずっと貫き通してくれる意志があるのかどうか・・・。」
だって私は、ただの人間の一人としての私自身の人生を振り返って見た場合、私は子供の頃から病気がちで、私が生きて21世紀の世を生きられるかどうか!さえ、疑問に思い続けながら生きてこざるを得なかった私が、私の肉体的寿命が尽きる日まで、本当に、生き続けられるのかどうか・・・。
でも、私は、自分の意志で意識の時代を呼ぶ!と決めてしまった以上、私は、出来るだけ、長生きしなければなりません。
でも、正直な話、私は、「私の大好きな人が、この世に存在しない世の中になど、私は興味も無いし、私はそんな世の中で、生き続けるつもりは有りません。」
何故なら、それは、「私の生き甲斐が無くなる」から・・・。
そして、私にとって、「私の好きな人」と言うのは、「私の心の支えであり、私の希望そのものでもあるから」なのです。
そして、「私の魂のパートナーが、私の元に来てくれない限り、私と一緒に、意識の時代を最後まで支え続けてくれる!と、宣言して、実行してくれない限り、私の悩みは、永遠に解決しません。」
私が何故、「意識の時代を、私がたとえ、一人でも意識の時代を支えて見せる!と、決心したにも関わらず、何故、自分の魂のパートナーの存在を求めるかと言うと、子供の頃から病気がちだった私一人では、私が死んだ後の意識の時代を支える事が出来なくなる!と、解っているから」です。
人間は、「どんなに長生き出来る人でも、200歳迄生きられた人は、この現実の世界では、存在しません。」
「単なる思い込み」や、「寿命計算間違い」、「空想世界で、200歳迄生きる!」と言う事は、「可能です」が・・・。
そして、「この現実世界で、実際に1000歳迄生きる事が可能に成ったとしても、結局のところ、人間の寿命が、長寿に成っただけの事であって、不死に成れた訳では無い」為、「確実に、自分が死んだ後の事を考えなければ」なりません。
その為、私は、どうしても、「自分の魂のパートナーの協力が、必要不可欠になってしまう」のです。
何故なら、「自分の魂のパートナーなら、もう一人の私自身でも在る為、私の事を裏切らない!と、解っているから」です。
「どんな人間でも、人は嘘をついてしまう事が有ります」が、「どんな嘘つきでも、自分自身に対して、嘘をつく事は出来ません。」
「どんな嘘つきな人間でも、自分自身に対して、嘘をつきとおす事は出来ません。」
何故なら、「自分で、自分自身に対して噓をつくと、これは嘘だ!と、自分自身で解っている」為、「いつまでも自分の中の罪悪感と向き合わなければならなくなり、いつまでも悶々と、悩み続けなければならなく成るから」です。
そして、その結果、「(全ての事に当てはまる訳では有りませんが)、自分に対して嘘をつき通すタイプの人の中から、世の中で事件を起こす人も、自殺をする人も、こう言うタイプの中から、生まれて来る事が有ります。」
「自殺をするタイプの人」は、「自分自身に対して、人生最悪の罰を与える事になるだけで済みます」が、問題は、「自分で自分に嘘をつき続けた結果、現実世界で事件を起こすタイプの人が生まれて来た時」です。
「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」は、「自分自身に嘘をつき続けた結果、世の中に対して、攻撃的な方法をとるから」です。
「こう言うタイプの人には、出来るだけ、関わら無い!のが一番!!」ですが、自分自身が、「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすのタイプの人には一生関わりたくない!」と、思っていても、中には、何故か、「自分自身が一生関わりたくないタイプの人と、関わらざるを得ない状況に陥ってしまう事も有ります。」
「そんな時は、可能な範囲内でいいですので、出来る限り、自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人と、関わらずに済む様に、普段から気を付けて下さい。
でなければ、下手すると、このタイプの人に、ご自分の命を狙われてしまう事が有るから」です。
「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」は、「人間不信も同時に抱えている為、自分以外の人間と関わりたくない!と顕在意識レベルで思っているので、必要に応じて、いつでもすぐに、その人を攻撃できる様、対応すべきだと、認識している為、チョットした事でも、プッツンして、攻撃的な性格になり、実際に攻撃してしまうと言う現象が、起こることが有ります。」
「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」は、「普段から、嘘をつく事自体が大好きで、自分以外の人間を普段から信用せず、そのくせ、何らかの理由で、世の中に対して、ご自分自身が猛反発をしたくなる程、何かについて世の中を監視し、世の中の矛盾を正す為に、ご自分自身が直接攻撃をする事で、世の中の矛盾をこの世から無くそう!と決断し、実際に実行してしまうタイプの人なの」です。
「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」は、「時として、何らかの理由で、誰かを抹殺しようとする事が有ります。」
「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」が、「何らかの理由で、誰かを抹殺しようと、実際に行動を起こす前に、誰かを殺してやりたくなっている理由を、何らかの方法で、無くす事が出来れば、事件化する事は有りません」が、そうでなければ、「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」は、「ご自分自身が○○を殺してやる!と、思っている人を、あるいは、人達を、ご自分自身の気が済むまで、殺し続けてしまう事も有ると思います。」
だから、「自分自身に対して嘘をつき続けた結果、世の中に事件を起こすタイプの人」には、「出来る限り、関わらないのが、一番!!」なのです。
私の場合は、「私が子供の頃からとても警戒心が強すぎる程、強かった為、私に対して危害を加えそうなタイプの人と出会う事自体、ほとんど有りませんでした」が、将来的にも、「私に対して危害を加えるタイプの人」に、「永遠に出会わずに済む!」かどうかは、実際問題、解りません。
ですから、私は常に、「自分自身が今まで知らなかったタイプの人達と会わなければならない時は、いつも、自分の目の前に居る人達のオーラを読み取った上で、対応する」様にしています。
「私が、初めて暮らす場所」や、「私にとって、慣れない場所」、「私にとって、初めて会う人」、「私が普段からあまり、自分の心を許す気に成れていない人が居る場所」では、「私は、いつも、そうして生きて」います。
「私にとって、誰かのオーラを読み取ること」は、「その人との付き合い方を、その人自身のオーラが、私に教えてくれるから」です。
だから私は、「初めて会う人や、普段からあまり心を許せていない人と接しなければならない時」は、「私は必ず、その人のオーラを読み取る事で、対処する」様にしています。
何故なら、「私にとって、誰かのオーラを読み取る事」は、「誰かのオーラを読み取った結果、その時に得られた情報通りに行動しさえすれば、私自身が、不愉快な出来事に直面する事は、まずあり得ないから」です。
だから私は、誰かと出会った時、誰かの言動に疑問を感じた時は、いつも必ず、その人のオーラを読み取るように心がけています。
ですが、私は、自分の家族や自分の親族たちと一緒に過ごす、平和で、私の事を理解してくださる方々とのコミュニケーションは、私にとって、とっても安心する出来事の一つですので、また、機会があれば、私は、自分の家族や、自分の親族達と一緒に、行動できる何かをしたいです♡
2021年の年末年始は、私の家族や私の親族達の他に、私の大好きな人と一緒に、過ごすことの出来る年末年始に成ったら、私、とても嬉しいなぁ・・・。
だって、それが、私の子供のころからの夢の一つだったから・・・。
私の長い文章のブログに、最後まで付き合って下さって、本当に、ありがとうございます。
私のブログに、少しでも興味を持って下さった方々、本当に、ありがとうございます。
そして、私の長い文章のブログを毎回、読んでくださっている方々、いつも、最後までお付き合いいただき、本当に、ありがとうございます。
また、私のブログを最後までお読みいただけるよう、努力いたしますね♡
えりりん
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