春のお彼岸の帰宅の件
皆様、こんにちは。えりりんです。
今回のテーマは、「春のお彼岸の帰宅の件」です。
私は、「以前、私のブログである、えりりんのブログの中で、春のお彼岸の時期に、帰宅する!と、書きました」が、「今回、私は急遽、春のお彼岸の帰宅は、急遽、取りやめる事」にしました。
「その理由は、私のフェイスブックの中でもお話しました」が、「私のフェイスブックの記事の内容」を使って、ご説明いたします。
「私のフェイスブックの内容」より
絵里「皆様、こんばんは。😄
私、色々考えた結果、今回の春のお彼岸の帰宅の件は、キャンセルしました。😅😅😔
やっぱり、私は、周りが騒がしい時期よりも、周りが静かな時期の方が、安心して、過ごせる気がするからです❤😅😅😔
だいたい、私は、根本的に、自分の周りが騒がしいよりも、私の周りが静かで落ち着いた雰囲気の方が、私の好みの生活環境なのです。😄
でも、だからと言って、私は、静か過ぎるのもまた、大っ嫌い‼なんですけどね・・・。😅」
母のコメント「ええ~っ、そうなの?ビックリ!
明後日、帰って来るねと言っていたのに。。。」
「私のフェイスブック」の、「私自身の返信内容」より
絵里「 お母
さん、おはようございます。😄
お母さん、私、やっぱり、もし、今回、私が家に無事に帰れたとしても、私は昔から体の調子が悪くなりやすかったし、昔から私の身体が同年代の人達と比べると疲れやすかったのに、私は今のままでも、十分すぎるほど、体が疲れやすい時が有ります。😔
それなのに、私が、羽田空港✈️に着いたときに、所沢駅からの直通バス🚌が使えるのと使えないのでは、私の身体の疲れ方が断然、違ってきます。😅
私は、羽田空港✈️と所沢駅を結ぶ、直通バス🚌が使えないのなら、私が無理して家に帰る必要性は無いかな・・・と、思います。😅
だって、羽田空港✈️直通バス🚌の存在の有無は、乗客側からすれば、自分自身の身体の疲れ方に、強制的に直接関わって来ます。😅
それすなわち、私はただでさえ、昔から身体が疲れやすかったのに、羽田空港✈️からの直通バス🚌がまともに走っていれば、防げた体力の低下も、羽田空港✈️からの直通バス🚌が使えない状態での帰宅は、その分、余計な体力を使う事につながり、私が飯能を往復するまでの間に例え、コロナウイルスに感染しなかったとしても、体力の低下による疲労困憊に成る可能性の方が、確率的に高く成る可能性が高い‼️と判断し、今回の帰宅を、停止することにしました。😅😅😔
他の人達には理解できなくても、お母さんだったら、私がこう説明すれば、私が羽田空港からの直通バスが使えない状態での帰宅は、いかに、私にとって、体力的に無理があるかどうか位、簡単に理解できるでしょ。😅
だから、私は、今回の帰宅を止める事にしたの。😄
ご理解、頂けたかしら?😅 」
山中初江
「了解したけれど、こういう事情は前もって直接母に連絡してください。」
以上が、私のフェイスブックの記事上での、私と私の母とのやり取りです。
でも、まあ、当然な意見ですよね。
ですが、「私が自分の頭の中で、色々と考え事をしている時」は、むしろ、「余計なアドバイスを私の頭の中に入れない方が、私が何かを決断しようとしている時は、私自身にとって、より良い決断を下せる時も有った」りします。
ですので、「私が誰かにアドバイスを求める」のなら、「私自身は、慎重に検討した上で、誰かにアドバイスを貰うかどうか」を、決断しなくては成りません。
そんな状態の私ですから、私自身の人間関係の中では、余計なトラブルの基に成ってしまう事も有ります。
でも、まともな考え方をする大人なら、自分自身の人生の中で、何かを決断する時は、毎回、親の意見ばかりを取り入れる!なんて事は、しませんよね。
当然ですが。
いくら、「自分の両親が大切だ!」とは言っても、「毎回、私が自分の両親の考え方に賛同しなければ成らない理由は、存在しません。」
自分の身内や自分の両親を大切にすることは、当然の事ですし、当然、良い事では有りますが、だからと言って、毎回、私自身の人生の決断に、毎回、親の意見ばかりを取り入れてばかりの人間が、世の中で、トップクラスの人間にいますか?
私は、山中家の長女としての教育を、親のしつけの段階から受けて来たので、私が意識の時代のリーダーに成れようと成れまいと、私は、泉の姉であると言う立場上、最低でも、山中家のリーダーに成れなければ成りません。
その為に、私は、理想のリーダーに成るための勉強を、色々な本を読みながら、勉強しています。
「リーダー」は、「リーダーであるがゆえに、確固たる自分自身の信念と、自分自身で色々な判断をし、自分自身の意志で、色々な決断を下していかなければ成りません。」
その為に、「いくら、頼りがいがあるとはいえ、自分自身なりの判断をする機会を奪うような人間」は、いくら、「自分の親だとしても、絶対に頼り切ってはならない」のです。
「私が静岡県下田市に行く直前までの私の母」は、「それが解らない状態」でした。
ですから、「当時の私」は、「親元を離れて、静岡県下田市に行く決断」を、下しました。
ですが、私が2017年に山口県入りした後で、「過去の母と全く同じ考え方をするタイプの女性」と出合いました。
「その女性」と「私」は、「実際は血縁関係は、全く有りません」が、「私とその女性は、良く似ている」と、「私達がお世話になっている男性」から、良く言われます。
その結果、私は、「山口県入りした直後の私」は、「その女性と最初は仲良くしたかったにも関わらず、私が山口県入りした後で、この山口県にも、過去のお母さんと悪い意味での、同じタイプの女性が存在する!」と、「私自身が認識してから」は、私は、「その女性の事が信用出来無く成ってしまいました。」
「過去のお母さんのタイプ」は、私の大っ嫌いな、「他人をコントロールするタイプ」の、「コントロール型の人間」でした。
「コントロール型の人間」の「存在」が何故、いけないのか?と言うと、解かりやすく説明すると、「コントロール型の人間」は、「他人を信用していない」上に、「ご自分自身の事も、信用していないから」です。
「コントロール型の人間」は、「他人を信用していない」ので、「ご自分の言う事を聞かせたい時は、ご自分がして欲しい事を、当たり障りなく注文して来ます」が、「基本的に、自分自身の事も信用していない」ので、「相手がどんなに、その人に対して尽くしても、その人ご自身の心の底から、感謝の念が湧いてくる事は有りません。」
その為、「コントロール型の人間」は、「相手」が、「どんなに、その人の言うとおりに行動したとしても、決して、満足することは無く、コントロール型の人間は、次から次へと、自分自身が他人にして欲しい事が、この世の現実から全て無くならない限り、何時までもいつまでも、延々と、際限なく、ご自分がして欲しい事を、遠慮なく、注文し続けてきます。」
「誰かがコントロール型の人間に出会っても、一定期間、一緒に暮らしたり、一緒に行動しなければ、その人がコントロール型の人間だとは、気づきません」が、私はすでに、「一人目のコントロール型の人間に出会った後」なので、「二人目のコントロール型の人間に出会ってしまった」なら、「一人目のコントロール型の人間に、今迄さんざん、されてきた事と、二人目のコントロール型の人間が、私に対する指示の内容を比べながら行動すれば、誰が、コントロール型の人間かは、私にとっては、一目瞭然なの」です。
そして、「私がコントロール型の人間に出会って、私自身が本当に良かった!と、思える事は、ほとんどの場合、存在しない」ので、「もし、誰かがコントロール型の人間に出会ってしまったなら、出来るだけ早く、コントロール型の人間が居る環境から、一刻も早く、離れましょう。」
「コントロール型の人間」は、「ご自分の言う事を素直に聞いてくれる人は好みます」が、「コントロール型の人間」に、「誰か」が「コントロール型の人間である、その人」に対して、「意見をしたり、頼み事をしたりをすれば、とたんに、嫌われる基となり、コントロール型の人間の心は、不愉快な気持ちで満たされてしまいます。」
「基本的に、コントロール型の人間は、ご自分の言う事を、何の疑いもなく素直に従ってくれる人は、心底、好みます」が、「コントロール型の人間に対し、少しでも、その人なりの意見や希望を言おうものなら、明らかに、コントロール型の人間の言う事を素直に聞いている時とは、別の反応をして来ます。」
ですから、「コントロール型の人間」は、「基本的に、ご自分の教育者を、本当の意味で、受け入れる事は有りません。」
ですが、「コントロール型の人間にとっての教育者」が、「ご自分の好きな人である場合は、多少は、その教育者の言う事を聞く事も有る」様ですが、「基本的に、コントロール型の人間は、他人がご自分の思い通りに動いてくれなければ、他人と一緒に居る意味は無い!と、本気で思っているタイプ」なので、こういうタイプの人間を、「ご自分の結婚相手に選んでしまうと、結婚相手に選んだその人ご自身の方が、不幸に成ってしまいます。」
それに、「コントロール型の人間」は、「他人に、ご自分の思い通りに動いてもらうためなら、平気で、嘘をつきます。」
「コントロール型の人間」は、「平気で、おべっかも使います。」
「コントロール型の人間が作る手作り」は、「他人に、ご自分の思い通りに動いてもらうための道具」です。
「コントロール型の人間がする優しさ」は、「時として、他人をコントロールする為に、使われる事さえ、有ります。」
とにかく、「コントロール型の人間にとっての他人」は、「ご自分の思い通りに動いて、働いてもらわなければならない存在」=奴隷なのです。
「他人をコントロールするタイプの人間」は、「とにかく、おしゃべりが大好き」です。
でもそれは、「情報収集」と、「他人を、ご自分の思い通りに動かすための判断材料」を、「普段のおしゃべりの中から、無意識的に探そうとするから」です。
だから、油断大敵なのです。
「他人を信用することは大事です」が、「他人を信用しすぎて、ご自分が痛い思いをしない様に、普段から気を付けましょう。」
「過去の私」は、「他人を信用しすぎて、散々、痛い思いをして来ました。」
だからこそ、「私には、分かる」のです。
「他人を信用する事は、大事。
でも、他人を信用しすぎると、自分自身が、痛い思いをしたり、自分自身が、馬鹿を見る事がある!」と・・・。
ですから、「出来る限り、コントロール型の人間が、今のご自分の人間関係に、存在していないかどうか、常に、チェックしながら、生きる様にしてみて下さい。」
「私自身の人間関係」は、決して、広い方では無いのですが、それでも、「コントロール型の人間に、すでに、二人も出会ってしまっている」のです。
「一人目のコントロール型の人間だった、私の母」は、「今は、もう、コントロール型の人間で有る事を、ご自分自身の意志で直しました」が、「私が山口県入りした直後に出会った、二人目のコントロール型の人間」の方は、「現在進行形です」ので、「5年目の夏が過ぎたら、出来る限り早くこの家から離れなければ成りません。」
「5年目の夏まで、待つ」のは、「その人ご自身の意志で、ご自分の欠点を自覚したうえで、本気で直そうとするかどうかを、確認したいから」です。
でもたぶん、「一人目のコントロール型の人間だった、過去の母親のケース」から行くと、「私自身が、その女性から離れないと、その女性は、一生かかっても、気づく事は無いかも知れません。」
「過去の母」は、私と妹の二人が、静岡県下田市に行った事がきっかけで、私たち家族は、重見さんの音声である、「排泄の科学」と出合い、現在の私が、山口県入りするきっかけに繋がって、今の私の生活が、存在します。
ですが、「過去の母」にとっては、「ご自分の娘二人が、ご自分の手元から離れた!と、言う、現実に、見舞われた」事に成ります。
つまり、「私が一人目のコントロール型の人間から離れて生きる決断を下した」事で、私は、二人目の「日本で最高の教育者」と、「母に言わせる程」の、「重見さんと出合う道を選択した」とも、言える事に成ります。
だって「私の場合」は、「私がいつまでも親元に居たら、私は、重見さんの排泄の科学とも出会えなかったし、重見さんご本人のいる、山口県下関市に、私がやって来る事も、私が下関市民に成る事も、結果的に、あり得なかった」のですから・・・。
そして何より、「私がいつまでも親元に居たら、もしかすると、山口県で出会った、二人目のコントロール型の人間の現実は、今でも、私の母の現実だったかも」知れません。
そう考えると、「私がいつまでも二人目のコントロール型の人間が居る家」には、「私が居ない方が、お互いの為に成る!」と、言う事に、成りますね。
だいたい、私は、「私が山口県入りする直前までは、私は、自分の家を手に入れて、一人暮らしをする事が、私自身の夢でもあったのですから、そもそもの話、私がいつまでも、他人との共同生活をし続ける事なんて、私の理想の現実から、離れている!」って、事に成りますよね。
「過去の私」は、かつて、「当時の父親」から言われました。
過去の父親「早く結婚しろ、結婚しないなら、早く一人暮らしをしろ!」と・・・。
そんな事を、「当時の私の父は、当時の私に、事あるごとに言っていたので、嫌と言うほど、私自身の潜在意識の中に、その言葉が入り込んでいます。」
ですので、「私は、いつまでも、この家に居続ける訳には、いきません。」
私は、今のところ、「二人目のコントロール型の人間が、たまらなく大っ嫌いです」が、「私がこの家から離れれば、もう、その女性とは、完全に縁が切れることは明白」なので、「私がこの家を出れば、二人目のコントロール型の人間を嫌う必要も無くなり、お互いの心の平和が、それぞれの心の中に、訪れやすく成ります。」
私は、「自分の理想の家」を、「どこで手に入れるかは、まだ、全然、決めていません」が、「私の実家のある埼玉県内には、私が考える理想の家の雰囲気に近い家」が、存在するところが有ります。
私が今いる「山口県内」にも、「インターネットで調べた範囲内」では、「それなりに、良さそうな所が存在することは、分かって来ました」が、だからと言って、「どちらのケースも、まだ、候補としても、確定したわけでは、有りません。」
「今の私」では、まだ、「金銭的な問題も、解決した訳では有りません」が、でも、だからと言って、「自分の理想の家のイメージを持つための努力」は、「お金が無くても、出来る事」だと、私は思っています。
その為、私は、「理想の家」と、「理想の生活スタイル」を、「イメージするために必要な勉強を中心に、今の私は、勉強しています。」
「私にとっての、理想の生活スタイルを、いとも簡単にイメージ出来る様にならなければ、こんまり流の片付け方法にすら、チャレンジ出来ないから」です。
「こんまり流の片付け方法で、一番大事な事」は、「その人にとっての、理想の生活スタイルをイメージする事こそが、一番、大事なポイント」と成ってきます。
そして、「理想の生活スタイルが、その人ご自身の頭の中にイメージ出来ないまま、こんまり流の片付け方法による片付けをチャレンジしてしまえば、その人は、何時まで経っても、まともな片付けさえ、出来ない状態に、成ってしまいかねません。」
そのせいも有り、「私は、自分の理想の生活スタイルと、自分の理想の家のイメージをするために必要な勉強の方を、最優先して、勉強しています。」
「私が、いつ、どこで暮らす事に成ろうと、私の部屋の片付けは、絶対に避けては通れません」から・・・。
私の長い文章のブログに、最後まで付き合って下さって、本当に、ありがとうございます。
私のブログに少しでも興味を持って下さった方々、本当に、ありがとうございます。
そして、私の長い文章のブログを、毎回、読んで下さっている方々、いつも、最後までお付き合いいただき、本当に、ありがとうございます。
また、私のブログを最後までお読みいただける様、努力いたしますね♡
えりりん
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